心は何処にあるのか
わたしには病名がない。
病名がないのに、睡眠薬8個処方されたり、抗不安薬を飲まないと泣いてしまう。
心って何処にあるの?
合唱曲で、『先生に聞いたら心は頭、親に聞いたら心は心臓』みたいな歌詞があるが、言われてみると心は何処にあるのだろうか。
私は、心臓が悪いわけじゃないから、最近は脳のバグと呼んでいる。
脳のバグは厄介で、メンタルクリニックとかにかかったことのない人でも、脳のバグと言えば少しは大変だなあくらいには思ってくれる気がする。
病名がつかないことに対して、不安はある。
白黒はっきりさせたい。
しかし、病名がついたら自分に甘くなる気がするし、鬱なんてついたら保険に入りにくくなるから、現状がいいのかとも思う。
メンタルクリニックに行ってる時点で多少なりともハンデがついてるけど。
1年通っていた病院では、躁鬱ではない。不安障害に近い。と言われて、少し安心したのを覚えている。
変な話、大量の薬を飲まないと日常生活は送れないし、下手すると1週間お風呂に入れない、なにも出来ない日があるから、私は甘えじゃなく脳がバグっていることを知ることが出来た。アイデンティティのようなものに近い(病気を盾にしたいわけではない)。
私が薬を飲む理由がちゃんとあるのだ。
それは一つの安心でもある。
ただし、それは私個人の話で、脳のバグに理解のない人からしたら、甘えにしか見えないのも事実である。
実際、身内ですら私は会社を辞めるまで、メンタルクリニックに通っていることを黙っていたし、今もあまりよく思われていない。
風邪を引いたら薬を飲むのと変わらないが、やはり当事者にならないと、理解は得られないことを実感した。
前記事の友人は、私の脳のバグに対しても理解があったので大変有り難かった。
親から、医者に依存してる。とよく言われるが、医者に依存してるというよりは、理解を示す態度をとってくれるから、信頼しているのだ。
親の立場からしてみれば、薬ばかり飲んで悪影響が後に現れないか心配なのだろう。
それも有難いが、今はそういった余裕もないのだ。
多分、双方にパニックが起きてるから意見のぶつけ合いが起きてると思う。
私自身、ずっと薬を飲みたいわけでもない。
バイト代が病院代で消えていくのはしんどかったし、これからも病院通いが続いていくのは辛い。
前記事とリンクするが、もし、私がまた友人と友人して関わることが出来るのであれば、それまでに、この不眠と不安障害もどきを治していくことが大事なのではないかと思う。
時間があれば、バイト生活でも良いが、生憎私には借金があるし、貯金してまた外に出る夢があるから、正社員に1年間はなると決めた。
毎日上手く身体が動くわけでもないし、気持ちが死んでいる日もある。それでも時間は止まってくれない。だから、こうやって進むと決めた。
一歩進んでは三歩下がるような毎日だが、進みたい。